木村先生、農地改革の続きのお話
こんばんは!
夕暮れ城下町 火曜日のパーソナリティー 小出伊保です^^
やっと秋らしい気温となりました。
スポーツの秋、到来ですね。
日曜日に行われた第3回松本マラソンには7134人が参加し、
松本市街地や田園のコースを駆け抜けました。
応援やボランティアのみなさんの力が
ランナーのみなさんの背中を後押ししたことは言うまでもありません。
去年は台風の接近で残念ながら中止となったため
2年分の思いが詰まった大会でしたよね。
去年もエントリーしていた完走者には、
メダルが2つ贈られたそうです。
参加した友人が感激していました。
これからも「また来年も!」と思ってもらいたいですね。
こんばんは、アシスタントの河野恵梨菜です!
1か月ぶりの出演となってしまいました・・・!
このお休みの間は、ずっと増税対策に追われていました(笑)
9月30日は地獄のような追い込みと準備でしたが、
なんとか無事にトラブルもなく、10月1日を迎えました(^^)/
世間ではラグビーが白熱していますね!
私も新聞などで拝見して、
日本の選手たちの大健闘ぶりに興奮しております!
引き続き日本を応援して、私自身も頑張りたいと思います♪
本日の『伊保の部屋』ゲストは
松本大学総合経営学部教授 木村晴壽さん
1か月ぶりの木村先生のご出演でしたが、
私もちょうど1か月ぶり、ご縁を感じずにはいられません(笑)
今日は前回の農地改革の続きです。
豊臣秀吉の時代に行われた太閤検地は土地の測量を行い、
年貢を面積によって決めていました。
しかし、測り方はその土地土地で異なった為、
同じ10万石でも地域によって広さは違ったようです。
また、石高制にすることで、その土地の田んぼだけではなく畑なども全て含めた上で、
『仮にここが田んぼだったらお米はどれだけ穫れるか』という、
収穫ができるかもわからない土地まで測量されていました。
さらに、領主に年貢が納められる過程で、
手続きを行う責任者たちが勝手に年貢をねこばばしてしまうので、
領主のもとには正確なお米が届きませんでした。
そこで領主は、
当時国民として扱われていなかった『名(みょう)』という、
奴隷のように田を耕していた農民たちを『本百姓』として正式に国に登録し、
代わりに正確な年貢を納めさせるようにしたのです。
当時は一人当たりの面積が2町という面積で振り分けられていました。
それ以上は当時の農民の力では耕しきれなかったそうです。
また、このとき国には『田畑永令売買禁止令』というルールがあり、
一人が土地を独占しないように土地の売買は禁止されていましたが、
平均の面積でも耕せない事情のある人もいたので、
その人の分の田んぼも耕して年貢を納める代わりに、土地を担保に入れてねという、
『土地の質入れ』が行われていました。
あくまでも貸し借りなのでルール違反ではありませんが、
それでも返済が厳しかった人たちもいたので、
少しずつ土地をたくさん持つ人が現れたそうです。
こうして大正の終わりには、
酒田の本間さんなど、広大な土地を持っていた人が誕生したのですが、
前回お話があったように、GHQによってまた平等に土地が振り分けられ、
一人当たりの土地が少ない為にその農家さんで穫れるお米がとても高くなってしまう、
つまり国産のお米は全体的に高いということになるんですねぇ~!
木村先生のお話、とても楽しかったです!
また次回をお楽しみに(*´ω`*)☆彡
今日お送りした曲は
あいみょん 「空の青さを知る人よ」
GENERAITCNS from EXEILE TRIBE 「EXPerience Greatness」
IZ⋆ONE 「Vampire」
嵐 「BRAVE」
B’z 「兵、走る」
麻倉未稀 「ヒーロー」
竹原ピストル 「It’s my life」
竹内まりや 「You & Night & Whisky. ~ウイスキーがお好きでしょ」
フジファブリック 「星降る夜になったら」
平原綾香 「恋」
OAU 「こころの花」
でした♪