2022.02.01 UP  

木村晴壽さん 松本の軍隊の歴史について



こんばんは!
夕暮れ城下町 火曜日のパーソナリティー 小出伊保です^^

2月に入りました。
立春もすぐそこ、春の足音が聞こえてきそうですが、
実際にはまだ寒さが続きます。
それでも日が長くなっているので、
真っ暗な中での寒さと明るくなってからの寒さでは
朝の冷え込みの感じ方も変わってきているように思います。
少しずつ、少しずつ、
春へ向かっています。

こんばんは、アシスタントの河野恵梨菜です!

年が明けてからあっという間の1ヶ月でした!
今日から2月となりましたが、
今月もなんだかあっという間の気配が…(笑)
今日から三日間、お店では恵方巻と
節分にちなんだデザートを発売しております。

今年もコロナが流行っていますが、
ご家族皆さんで是非とも健康を祈りながら
恵方巻を頬張ってほしいです\(^o^)
節分豆も販売していますので、
豆まきも是非ともやって頂いて
鬼退治してくださいね!

本日の『伊保の部屋』ゲストは

  松本大学総合経営学部 教授
  地域防災科学研究所 所長  木村 晴壽さん

今日はリモートでのご出演です。

今回は先月お話頂いた旧制松本高校の続きで、
軍隊の誘致についてのお話です。

松本には陸軍歩兵五十連隊がいました。
連隊は大体2000人くらいいたので、
連隊があることで経済活性化に繋がっていたようです。
なので、どこの地域も誘致合戦に躍起になっていました。

この五十連隊は明治41年にやってきたのですが、
実はその前年の40年に『松本市』が誕生していたので、
当時の市長が誘致に力を入れていたのも理由の一つです。

この連隊が松本に来るまでには紆余曲折あり、
日清戦争後までに遡ります。

日清戦争で勝利した後、
日本は領土を拡大しようと試みましたが、
ロシアがそれを阻止しました。
そこで日本はたくさんの連隊を作ろうと兵士を集め、
連隊が4個集まると師団になりました。
師団には大体8000人(1連隊2000人✕4倍)いて、
師団が6個できました。
その後さらに12個、18個と増えていき、
最終的に48師団できて日露戦争に突入します。

なんとか戦いましたが戦死者も5万〜6万人出たそうで、
日本はさらに兵士を集めました。
こうして百五十連隊までに膨れ上がりました。

やがて太平洋戦争が始まる六ヶ月程前に
兵士たち連隊の駐屯地を決める際、
あちこちに借り出されていた百五十連隊が
ようやく松本にやってきました。

しかしながら…
松本にやってきた
昭和16年から三年後の19年にこの連隊は、
サイパン島へ向けて出兵します。
途中でサイパン島ではなくその隣のペニアン島に赴き、
伝わるところによると、ほぼ兵士たちは玉砕となり、
およそ1000人が亡くなられたと言われています。

かつては松本で日常生活を送り、
当時の松本市民とも深く交流されていたと思うと
とても物悲しい気持ちになりますね…。

松本に誘致された連隊の駐屯地は
現在の信州大学のあるところになります。
リスナーも皆さまも、当時の軍隊について
思いを馳せてみてください。

今日お送りした曲は

  cinema staff  「海底」
  Little Glee Monster  「透明な世界」
  氣志團  「Body & Soul」
  遊里   「ドライフラワー」
       「かくれんぼ」
       「ピーターパン」
       「ベテルギウス」
  King Gnu  「逆夢」
  吉岡聖恵  「まっさら」
  SixTONES  「Everlasting」
  東京事変  「落日」
  BUMP OF CHIKEN  「Flare」

    でした♪


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