2018.09.04 UP  

木村先生、教育県のお話^^



こんばんは!
夕暮れ城下町 火曜日のパーソナリティー 小出伊保です^^

先週は遅い夏休みをいただき、
今日は2週間ぶりにお耳にかかりました。
この間に、あんなに暑かった夏も出口が見え
秋の気配を強く感じるようになりました。
そして、ある意味、これも秋の風物詩?
台風21号、上陸です。
放送中がちょうど暴風雨の時間帯で、
ちょっとドキドキしながらの ON AIRでした。

こんばんは、アシスタントの河野恵梨菜です!

予想以上の台風21号の威力に驚いています(*_*;
毎年台風の影響が~・・などと聞くのですが、
今夜の台風は比べ物にならないくらい凄いです!
明日の未明までは各地域で暴風注意報などが発表されていますので、
皆さん外出は控えて、気を付けてお過ごし下さい。

今日の『伊保の部屋』ゲストは
   松本大学総合経営学部教授  木村晴壽さん

木村先生は今日、暴風雨の中、お越し下さいました!
本当にありがとうございます!(´;ω;`)

さて今回は、長野県がなぜ『教育県』と呼ばれるのかという
興味深いお話をお伺いしました。

明治4年に廃藩置県があり、長野県は『筑摩県』と『長野県』の
2つになりました。
明治5年、今度は国の教育を何とかせねばと、『学制』という法律が
制定されました。
この学制の内容は、どんな風に勉強を学ばせるのかを検討するものでした。
そして、当面は小学校をどんどん作ろう!ということになったのです。

当初は文部省が日本の教育に責任を持つというスタンスでやろうと
していたのですが、実際は各県がそれぞれのやり方で小学校を
作ることになってしまいました。
やり方は当時の知事が先導した為、各県の考え方はバラバラでした。

明治6年に全国で学校作りが始まり、明治8年までの2年間で、
なんと2万5000個も小学校が設立したのです!!
ちなみに、現在の小学校の数はおよそ2万6000個・・!
なんと、明治にして現在の小学校の数がほぼ全て完成されていたのです!
すご~~~いッ!(*^▽^*)
また、この当時から父兄が子どもに教育を受けさせることに責任を持つ、
つまり義務教育も定められていました♪

こうして小学校がどんどん設立され、
子どもたちは勉強に励めるかと思いきや・・・
明治6年~7年の就学率は、全国平均がなんと30%!
実は、当時はまだ子どもたちも立派な働き手だったことと、
貧しさで学校に通えないという状況がありました。

しかし!
そんな中で全国で断トツ1位の就学率を誇っていたのが長野県でした!
筑摩県は就学率70%、長野県は60%!
これには文部省も驚き、調査員を派遣したほどでした。

実は、当時の知事がこの学制に非常に前向きで、
2か月かけて各地を視察するほど力を入れて取り組んでいました。
また、本来は寄付で小学校を建てるのですが、
国から出ていた補助金を上手く使い、
寄付をしたり、優秀な成績を修めると報酬金を出していたのです!

後に報奨金は廃止され、現在は就学率にほとんど差はありませんが、
当時の知事の力の入れっぷりが、今でも長野県が『教育県』と言われる
理由だったのです(^^)/

次回の木村先生のお話にも乞うご期待です☆

今日お送りした曲は

  夜の本気ダンス  「Magical Feelin’」
  sumika  「ファンファーレ」
  家入レオ  「もし君を許せたら」
  Akeboshi  「Wind」
  Akeboshi  「Yellow Moon」
  Akeboshi  「leaf on leaf」
  グッドモーニングアメリカ  「そして今宵は語り合おう」
  LITTLE GLEE MONSTER  「世界はあなたに笑いかけている」
  Mrs. GREEN APPLE Feat. 井上苑子  「点描の唄」
  Akeboshi  「A Nine Days Wonder」
  MISIA Feat. HIDE  「アイノカタチ」

      でした♪


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