「理解する」ってなんだろう?
おはようございます。
おはよう791水曜日担当の松本大学大学院生・清水純也です。
私が所属している研究室に、今年の一月から留学生が新たに
メンバーとして加わっています。
彼女はドミニカ共和国出身で、専門の骨格筋生物学の研究はもちろん、
日本文化・日本語を学ぶことに対しても真摯・熱心でいらっしゃいます。
私と彼女は第二言語として英語を使うことができ、
毎日、何かについて話しています。
そのような第二言語を使う者同士が異文化理解を目指すうえで、
もっとも重要なことは「相互の理解」であると思います。
しかし、一体、会話において「理解する」とはどのような状態でしょうか。
先日、彼女と上の質問について話し合ってみました。
すると、面白いことに気づきました。
それは、日本文化において「理解する」と「解釈する」は
地続き、しばしば同義語、であるということです。
一方で、彼女の持つ文化では上の二つの概念は明確に区別されるようです。
それは以下の通りです。
理解:話し手によって発せられた文章の中にある論理を知ること。
解釈:話し手によって発せられた文章をヒントに、
聞き手が独自に想像すること。
文脈を共有していない者同士であるとき、
話し手が説明を省略し、聞き手が解釈を試みることは
うまく機能しないという報告があります。
お互いの持つ背景情報と価値観が一致していないためです。
その場合、試みられた解釈が外れる結果になります。
したがって、異なる背景を持つ者同士の会話の中で、
理解することと解釈することが同義であることは
意思の伝達を困難にさせるといえます。
では、異文化間でのコミュニケーションに必要な理解の形:
「話し手によって発せられた文章の中にある論理を知る」とは
より具体的にどのような状態でしょうか。
私は現在、その意味を下の三つの「知る」を満たした状態
であると考えており、ここでそれを提案します。
1. 相手がすでに言及した“結論”は何か、知っている状態。
2. 結論を支持するための“理由“は何か、知っている状態。
3. 結論と理由の叙述に使用されたそれぞれの言葉の“意味”を知っている状態。
この定義の利点は理解を評価することができることです。
例えば、
「全部は理解していない。なぜなら結論は分かったものの、その理由がわからないからだ。」
「理由と結論は大体わかったけど、言葉の正確な意味が分からない」など。
そして彼女との話し合いの中で、
「理解する」の定義は上の三つの条件がそろうことであることに合意しました。
その後、意思疎通ははるかに明瞭になり、充実した会話を楽しんでいます。
良かったら皆さんもお試しください。
次回もお楽しみに!
[本日の曲]
‣aiko
桜の時
お薬
二人の形
桃色
悪口
傷跡
‣Jason Mraz
I’m Yours
Butterfly
Live High
Love For A Child
Coyotes
Only Human
Man Gave Names To All The Animals